このブログは、筋トレ初心者が独学でボディメイクを研究し、3年でベストボディモデルジャパンの大会で優勝した私がこれからボディコンテストに出たいと意気込む猛者に送るメソッドです。
しっかり1日〜100日までの記事を読めばあなたは確実にボディコンテストで結果が出ます。
経験から言うとボディコンテストに出ると人生が変わります。人生が変わるかもしれないその第一歩の手助けとなります様に。
24日目
ベストボディジャパン優勝者のマインドになった日
ポジティブになる事
2023年8月26日 ベストボディジャパン新潟大会モデル部門
‘’映えあるグランプリは…..6ライ……
6ライ?
私の名前はサクライで6番の番号を腰につけていた。最終の最高のアナウンスで噛ませてしまうあたり…..持ってる。なんでもポジティブになること程難しいことはなく、そしてそれを継続して実行すること程大変な事はない。
4/26
「よし、今日から減量始めよ」
その日から勝利を確信していたわけじゃなかった。
2020年にゲストハウスの運営を引き継ぎ、個人事業主として事業を始め、コロナ禍を乗り越えた自信でちょうどコロナ禍に始めた筋トレの成果が出てきたので
プロテインバーKuKu を開業
1Fにプロテインも飲める新しい居酒屋風バー
2Fにはパーソナルトレーニング兼個人利用可能なジムを設置
家賃20万で立地も悪い場所にも関わらず鉄筋コンクリートでジムの器具が置けると言うことだけで契約を決めた。
「補助金の活用をしてうまく客を呼べばいい!」
そう思っていた私は初めての事業失敗を経験する。
「ここに決めるわ」
不動産に勤める友人から紹介された鉄筋コンクリートの4階建てのビルの1階は元DJバーとだけあって異質な雰囲気を醸し出していた。
広く長いカウンターバーの奥は半地下になっていて四角形のボックスフロア、四方の壁には東京リベンジャーズを彷彿とさせるような卍の文字。
1からお店を作ってみたい!
そんな安易な思いから固定費爆高の立地最悪物件をなんの集客力のないポッと出経営者が契約を決めた。経済力がない私はなんとか駆使して該当する地域の補助金制度を調べ申請し、金融公庫と言われる民間の金融機関から融資を手に入れ、なんとか500万くらいの準備資金を手に改装を行うこととなった。
「ペンキって納豆臭くね?」
もともとトラックの塗装業を行っていた幼馴染のだいきに卍の壁をペンキで塗りながら言った。
「だっけさ」
地元の仲間と老人しか使わない”新潟弁”に落ち着きを感じながら真冬の作業が続いていた。1からお店を作りたいと言ったからには、軍資金調達・外壁塗装・内装・必要な設備の購入・酒屋との契約・設備工事の手配等全てを自分でやる事で経験値を上げるし、なるべく自分でできる事はやろう。と思っていた私は、ホームセンターに通う毎日だった。
ペンキを塗る前に必要なシーリング剤やシールや打撃で貧相な見た目とかしている壁を塗る漆喰というもの、ドアの作り方、様々な事を肌で感じ勉強した。そこで思った、、
「ひとりじゃなんもできねぇ。」
お店を作るのは楽しくて毎日がすぐ過ぎ去っていたのとは裏腹にお店をオープンした時の集客は?従業員は?そもそも間に合うか?と必要な準備に手を回していなかった私はネガティブな思考に陥っていた。手伝ってくれる仲間や親、ゲストハウスの常連さん達にも自分の焦りから強く当たってしまうこともあった。
人間はお金や時間に余裕がなくなる時、そして準備不足だと分かりながら何もしなかった時に不安や焦りを感じて感情的になってネガティブになってしまう事がわかった。
「できるだけポジティブにいこう。死ぬわけじゃないんだから」
好きで始めた事で逆に自分を苦しめてしまっていたことに気付き、ポジティブが生む余裕の大切さを学んだ。今後家族ができた時に妻や子供にストレスを与えてしまうような人にはなりたくないと思った。
時間の重要性
作業が進む中で当初予定していた2023年4月1日にお店が開業できるかどうかが怪しくなってきた。
自分のスケジュール感覚をこれほど疑ったことはなかった。1月に賃貸契約をして3ヶ月くらい毎日朝から晩まで内装作業をやれば余裕で間に合うだろう。むしろ商品開発とかもできて余裕を持った状況でお店の宣伝ができてプレオープンまでできるんじゃないか?
なんでこんなに頭悪いんだろうか。
強く思った。従業員の手配、固定費の再確認、運用資金や売上目標。全てザックリといけるだろうな〜くらいの感覚で進めてしまっていた自分に今になって後悔をしている。
改めてスケジュールを見直し、やらなければいけないTO DOリストなるものを作ってみると、全く追いつかない事が判明した。挫折と焦りでその日は脱力で早めに床に就いたのを覚えている。
水道管や電気関係の設備は高校時代の友人にその手のプロがいたので頼んだり、看板の作成も頼むことにした。あっという間に作業は進んでいって自分でやる何倍の速度で作業は進んでいった。まさにプロの所業とは素晴らしいものと思った。自分の思う3〜5倍くらいのスピードで物事が進んでいく過程を見ながら、お金を払って時間を得る事の重要性について学んだ。
未来を考える
結局何の準備も進められずになんとかOPEN初日の2023年4月1日を迎えた。
「なんとかやった。」
無事にオープンをなんとか形あるものに仕上げることができた。達成感は今まで感じた事のない大きなものだった。1人ではないが、1から自分でやろうと決めたことを達成した。自信になった。今後お店を開くときや何かを始める時に必要なものやノウハウを3ヶ月で学んだ。そんな期間だった。
OPEN初日はゲストハウスで構築した人間関係のおかげか、多くの常連さんや近くの住民の方々が足を運んでくれてオープンから1週間程度は繁盛した。きてくれるお客様の笑顔や真新しいものを見るキラキラとした顔はモチベーションに繋がった。
「完全に事業失敗だ」
お店の売上と固定費の計算を見直してみたらとんでもない赤字になっていることに気づいた。
ゲストハウスの方はコロナも明け順調に事が進んでいたが、プロテインバーの方は固定費が売上を相当に圧迫し、集客も十分にできなかった為に客足は遠のいて行った。
ゲストハウスの常連さんもスタッフ不足により対応が軽率になっていたことも影響し、ゲストハウス一本でやっていて情熱を注いでいた時とは変わりどんどん常連のお客さんは減っていった。幸いなことにコロナ明けと重なり海外顧客の増加による集客が功を奏し、ゲストハウスの売上自体は減らなかった。
しかし、このままではプロテインバーの赤字がゲストハウスを圧迫していく一方でジリ貧。何も構想を練らずに広告も必要最低限のSNSや知り合いのお店への宣伝程度しかしなかったツケが完全に回ってきた。
やばい。
準備不足とはまさにこのことで、現状を把握せずに適当に未来を予想していた事に焦りを覚えた。経営というものを何も学べていなかった。一つの指標として売上目標・固定費の計算・運営コスト(人件費含む)・全てを準備して未来を見据える余裕を持つことが開業前に一番しておくべき事だと確信した。
・準備と現状把握で未来は変わる
減量開始
2023年4月26日はベストボディジャパン新潟大会の4ヶ月前。この日から減量を始めると決めていた。ボディメイクのコンテストでは3~4ヶ月の減量期間を設け、食事管理と有酸素運動、筋トレをハードに行っていくことが定石だ。この工程の中で自分にいかに厳しく体を作っていくかが勝利へ影響していく。しかし僕は思った。
「この経営状態でボディコンテストに出るべきか….」
1度自分を見つめ直して経営のことや自分のこと、将来のことや周りのことを考えてみて、結論”自分の後悔しない生き方”と言うところに行き着いた。そう思ってしまったからにはしょうがない。ベストボディジャパンというコンテストで優勝してお店の宣伝しよう。そうしたら絶対人は来てくれる。周りの人も喜んでくれる。
それまではお店の運営を手伝ってくれている兄や母、従業員にある程度は任せてコンテストに集中することに専念した。自分が有名になって広告塔になる事によって多くの人に認知され、集客につながるのでは?自分なりの経営難脱出の方法をそこで見出そうとしていた。
笑顔の重要性
2023年8月26日 ベストボディジャパン新潟大会モデル部門
‘’映えあるグランプリは…..6ライ……サクライジュンペイ
自分の名前を呼ばれた瞬間の喜びは今までのどの達成感をも凌駕していた。
頑張った事が全て報われるとは思わないが、本当に全てを犠牲にして得た優勝は何にも変える事のできないかけがえのない自分への報酬となった。
「これで全てがうまくいく、絶対よくなる」
甘かった。
会場に見に来てくれた筋トレ仲間はミスドやケーキを買ってくれて本当に賞賛してくれた。しかし、優勝の襷を持ってゲストハウスやプロテインバーに帰り優勝しました!!と言ってもおめでとう!!とは言われるものの、祝杯や宴は行われなかった。
前回大会2022年は予選敗退であったが、ゲストハウスの常連が集い、みんなでお疲れ様パーティーを開催してくれたり、旅行を計画して慰安旅行という風に本当に出て良かった。このために頑張ったんだ。と思えるようなアフターフォローをして頂いた。その結果を遥かに超えた優勝を持った日だったが、誰1人して対面で祝いをくれる常連はいなかった。
“やってしまった”
優勝を考えるあまりに周りのことを考えずに冷たくあしらい、時には無視をし全く笑わない(というか反応する気力がないw)。お店のスタッフとしてあるまじき行為をとっていた自分を振り返った。そんな人間についてくる人は確かにいないだろう。自分がお客さんの立場だったら近寄りたくない。そう思わせるには十分な態度だったと思う。
いかに自分の苦しいときや辛い時に”笑顔”で人を喜ばせるかが重要か痛感した日でもあった。優勝という大きな結果と引き換えにお客の”信頼”を失った事に気付いた日だった。
日本大会
新潟大会入賞者は同年11月の日本大会に出場する権利を得られる。その為に辛い減量をこなしてきたと言っても過言ではない。やり切った後にはもっと大きい大会が控えている。
自分が死ぬ思いで取り組んだ減量を同じくらい、もしくはそれ以上の努力で地方大会を勝ち抜いた猛者たちが集まるのが全国大会だ。11月の日本大会に向け始動する事になった。
新潟大会を終え1度休息を取る事にした私は、食べたいものを食べ、好きなものを飲んでということを1週間繰り返した結果…..約10kgの増量をしてしまった。
「やばくね?」
日本大会は11月に控えるのに2ヶ月で10kgも落とすのは至難の業だ。本格的に減量を開始する事にした。この半年間で学んだことは以下の通り
・ポジティブになることの重要性
・時間の重要性
・準備と現状把握で未来は変わるということ
・笑顔の重要性
この学んだことをしっかり生かして取り組もうと真剣に考えた。これを乗り越える事ができたら絶対にステージでも優勝できる逸材の選手になれるし、経営や私生活でも有効に効果を発揮するに違いないと、そう思った。
優勝マインドを得た日だった。
まとめ
この物語はまだ途中で夢半ばですが、自分の思う優勝マインドが構築された日と認識してもらいたいです。人それぞれにストーリーがあって色々な問題や課題と直面しそれをクリアしていく過程でどんどん成長していくものです。
この記事を読んで何か一つでも自分に当てはまることがあったとか感じるものがあったなら書いた価値があったと思います。自分の経験が誰かの役に立つことで私の原動力になります。優勝の糧となるこの記事を多くの人に読んでもらいたい。だから一緒に継続して生きていきましょう。
ありがとうございました。
人生を変えるのはあなた自身!!
<参考文献>